
Horowitz at the Met / BMG
ショパンを聴き始めるとどうしても避けては通れない,好きでなくても評価はしなくてはならない20世紀の偉大なピアニストである.このアルバムは最晩年の1981年にメトロポリタン歌劇場で行われたリサイタルのデジタル録音である.ホロビッツを語るのに何故このアルバムを取り上げたかといえば,それは彼のピアノの特徴が「ピアノの音」にあるからである.
もちろん,最盛期の録音にもいいものはあるし,なにより演奏そのものも脂がのっているのかもしれない.しかし「初めて」デジタルで録音された彼のピアノは,それまでの録音を超えた彼の「ピアノの音」の真実を捉えていると思われるのである.
改めて美しい音を出すものだと感心してしまう.官能的で甘美で,どのような修飾詞を並べ立てても言い尽くすことはできない.それでも私は彼のピアノは好きではなかった.と思っていたが,どうも「好きでない」訳ではなく,心のどこかでもう一人の私がリミッターを効かせていたように思われる.
それは薬物に対する警戒感のようなものかもしれない.反射的に「耽溺」を嫌う,深層心理が自己防衛に走っているのだろう.そう彼の「音」はまさしく麻薬のようなものだ.おそらく生で聴いていたら抗うことは敵わなかったかもしれない.
もう一つひっかかるのは,修飾音の多さと,省略である.あのグールドでさえ,「繰り返し」以外のフレーズそのものを省略することは無かったと思う.ところがホロビッツはがっさり切ってしまう.おまけにリサイタルでは単独の楽章のみを取り上げ,曲単位取り上げない場合がある.
プログラムもバロックから近現代まで一貫性のない取り上げ方が多く,特定の作曲家を重点的に取り上げることもない.要は作曲者に対するリスペクトが感じられないのだ.そうかれは芸術の再現をしているのではなく,かれのピアノ技術の披瀝をしているのだ.
それを否定はしないが,どこかで避けてしまう原因のように思われる.だからかれのピアノが麻薬的な魅力を放てば放つほど,警戒感が強まってしまうのだ.

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