
Chopin Nocturnes / Rubinstein(Piano)
ショパンが好きかと問われると実はそれほどでもない.しかしクラシックを聴く以上は避けて通れるものでもない.曲が好きというより,ショパンを演奏するピアニストの個性が好きで聴いている.元々ピアノはヴァイオリンなどの弦楽器に比べ演奏者の個性が顕れにくい楽器と謂われている.そう,鍵盤を押さえることによって,フエルトのハンマーが鋼線を叩く楽器であるピアノは,本来誰が鍵盤を押さえても同じ音がするはずなのである.
ここにかつてカラヤンが一世を風靡し始めた頃の議論の根本がある.つまり音楽における精神性の問題だ.ピアノにおいてはその議論がさらに進んで,技術論だけが選考することが多々ある.そのせいで音楽評論家という,よくわからない仕事している方々の中にはとかく技術論だけで語ることが客観的評価だと勘違いしている人が多い.
思い出されるのは度々連載が中断し,いまだ完結をみていない一色まことの「ピアノの森」が触れた音楽界におけるタブーの問題である.つまりピアノ演奏における「違い」は何なのか,「正確な演奏」以外に,「素晴らしい演奏」があるのか,その「素晴らしさ」の基準はどこにあるのか,という問題である.
専門家だけでなく,素人の中にも多少音楽を囓った人の多くは,やれ「バッハの音楽はこうではない」とか,「テンポがおかしい」などと語りたがる.これはおかしな話だ.再現芸術としての音楽は,譜面にない修飾音を加えるのは「現代では」論外としても,「個性」を表す可能性として,テンポと強弱以外に変更できるところはないといってよい.「変更」は言い過ぎだ,「解釈」が正しいかもしれない.
そのパラドックスの最たるものがリヒテルで彼は楽譜通りに弾くことを自らの演奏の根本としていたが,実際には個性的な演奏であった.よい演奏というのは,その個性が自分のイメージする曲のや作曲者の個性にマッチしているかどうかという問題だ.
さてこのアルバムだ.これこそルービンシュタインがルービンシュタインである理由を示すアルバムだと思う.ルービンシュタインがショパンの曲を通して垣間見せる自らの存在価値.若い頃の自信(過信)に満ちた演奏とは違う,切なさがある.

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