スティーブ・アーウィンが亡くなって改めて考えたことは,現場の知識の重要性である.小さな動物園の経営者で,野生生物保護の個人活動家に過ぎない男に,世界中の学者が研究への協力を依頼していた.これは白亜の城で,椅子に座って研究している彼等が逆立ちしても適わない物,「現場の知識」を頼ったからに他ならない.
与那国の遺跡についても,いろいろ言う学者が居る.しかし,人工であることを否定するにしても,実際に潜って否定するのは海外の学者ばかりだ.日本の考古学の権威達は,ろくな検証もせず,他人が現場で集めた資料を,机に座って批判する.
そもそも日本には水中考古学はほとんど存在しない.こういった研究には,海底の地質学,潮流と地形に関する研究,歴史学,地学に関する莫大な知識が必要であり,一分野の専門家が一朝一夕に答えを出せるとはとても思えない.
実際に自分の目で見ると,半々であるというのが本音だ.岩が板状にはがれる地形はよく見たことがあるが,それとは些か違う感じがするのだ.地底に対し,水平な面が出来るのは良くあることだ.高さ方向も垂直になることはあるだろう.しかし,横の稜線と奥行きの稜線が直角に成るのは如何にも不自然だ.それが一カ所でなければなおさら妙な印象を受ける.
屎尿の海洋投棄の問題などにしても,机上で問題を語る水処理専門の学者は,海の専門家でもないのに,「拡散する」と言うことをすべての基準に語ろうとする.海流や,海水中の微生物,住民,漁業といった問題は一切お構いなしだ.現場を知らない学者の意見など,本当に無意味に思えて仕方がない.
これは自分への戒めでもある.以前にも書いたが真実は現場にある.理詰めの議論の積み重ねも,現場で得た最初のインスピレーションに適わない事があるのだ.
恐竜の研究でも,ティラノサウルスの手は狩りをするには小さいとか,象を基準にすると体が重すぎて走れないなどと専門の研究者が平気で言っている.ワニは狩りに手など使わないし,恐竜は気嚢ががあるので,体重は現在のほ乳類と比較にならないくらい軽い上,無限にエネルギー供給が出来るのに,である.
この与那国の海でも,こういった「知識の目隠し」が有るような気がしないでもない.



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