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新マスターによるバイロイト/ルツェルンの第九

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1951 Bayreuth/1954 Lucerne

昨年12月9日の記事でこの2枚のBeethovenの交響曲第九番を紹介した,今回紹介するのは同じ日の録音であるが,今まで世界中で使用されたオリジナル・マスターとは異なるマスターから起こされたCDである.ルツェルンの録音(写真左)は昨年先に発売され,今月になってバイロイトが発売された.よくぞ残っていてくれたものだとしか言いようがない.

以前,時間の経過は失うばかりではないと書いたが,時にはこのような贈り物を残してくれるらしい.レコード時代を知らない人達も,あるいはフルトヴェングラーを知らない人にさえ聞いてもらえる音質なのだ.特に3年時代が下っているルツェルンに至っては,モノラルで有ることが不自然に感じるくらいに明瞭な音質なのだ.

このルツェルンを聞いたとき,「おやバイロイトの方が良かったというのは気のせいか?」と疑ったほどに,フルトヴェングラーの生々しいタクトを感じられる.そして先週発売されたバイロイトを聴いて,本当にこの人類の宝が残ってくれた事を有り難く思う.やはり演奏の緊張感と,密度が明らかに違う.第4楽章の最後の一音が唐突に途切れるように感じられた,「あの音」に,実はホールの残響が残っていたのだ.

バイロイト盤は開演前のざわめきと拍手が納められているのだが,この間に人々が囁き合う声までハッキリ聞こえる.確かに1951年の録音であるバイロイトは音質的には苦しいところもある,しかし,しかし.私にとって第九の本質を感じさせてくれる録音はこれ以上のものはあり得ないと,改めて感じさせてくれる一枚となった.

余談だが某レコード通販サイトの購入者評に,「この曲はもっと祝祭的な...,やはりフルトヴェングラーは時代に取り残されるべき人だった...」という評が載っていた.何度も言うように再現芸術の感じ方は個人の感性なので,他人の評価など気にする必要もないのだが,ベートーヴェンの音楽に対し「祝祭性」という言葉を使うのは訂正しておきたい.

彼の人生,この曲に至る苦難,そして様々なメモや友人への手紙に残る彼の考えや,曲への思いから「祝祭」などという暢気な言葉は出ようはずもない.ここにあるのは過去に何度も語られたとおり,「闘争と勝利」以外の何物でもない.そして,その勝利にすらベートーヴェンは酔ってはいないのである.

オーディオ的な効果を考えたり,ことさら美しく演奏すれば良いといった「売れること」を前提に行った録音と同列に語れるはずもない.録音として残ってくれたからこそ我々は聴くことが出来たわけだが,フルトヴェングラーもオーケストラの奏者も,そのようなことを意識してはいなかっただろう.

音楽の真の喜びはコンサート会場にあり,録音はその思い出の一助に過ぎないのだ.

それはともかく,クラシックを聴き,またベートーヴェンを聴こうと思う人,またかつてこの2つの録音を聴いた人は,是非この二枚で聞き直してもらいたいものだ.

Bayreuth 1951 / OTAKEN records TKC-309
Lucerne 1954 / OTAKEN records TKC-307

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