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2006年12月09日

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Beethoven Symphony No.9 "合唱"

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フルトヴェングラーの第九(CD)

「人類普遍の至宝」と謳われる芸術はいくつも存在する.こと音楽に関して言うなれば,マタイ受難曲と並んでこの曲がまさに該当するであろう.この曲は,他の如何なる曲とも同列に語られることはない.誰も「交響曲の一曲」という扱いはしない.この曲はあるいは「第九」と呼ばれ,あるいは唯「九番」と呼ばれることもある.9曲の交響曲を作曲した作曲家は,ベートーヴェン以降何人もいる.しかし,作曲家の名を冠することなく「九」という数字が表すのは,この曲しかない.

ベートーヴェン 交響曲第九番ニ短調 作品125 "合唱".年末と言えば,この曲を取り上げないわけには行くまい.年末に第九を演奏するのは,ライプツイッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団から始まったとされるが,詳細な経緯はあまり知られていない.日本では,NHK交響楽団の前身である,新交響楽団に就任した,ローゼンシュテットがゲヴァントハウスの例を紹介し,1940年代に始まったとされている.

さて,この曲をどのような演奏で聴くべきか,まず2枚のCDを紹介しよう.左はフルトヴェングラー指揮,バイロイト祝祭管弦楽団による1951年のライブ録音であり,第二次大戦後初めて再開されたバイロイト音楽祭の記念すべき第一回目の初日に行われた公演の録音である.

右側は,同じくフルトヴェングラー指揮,フィルハーモニア管弦楽団の演奏で,1954年ルツェルン音楽祭における録音である.どちらもフルトヴェングラー畢生の名演であり.第九演奏の一つの規範を以後に示した演奏と言われている.人々はこれらの演奏に敬意を払い,前者を「バイロイトの第九」,後者を「ルツェルンの第九」と呼び,他の演奏,他の録音と区別している.

もともと一貫した解釈に基づいて演奏する人なので,両者に大きな違いはない.録音は年代が下るルツェルンが勝っているが,演奏のキレはややバイロイトがまさっているだろうか.第三楽章の美しさ,第四楽章のコーダにおけるプレスティッシモの疾走と,途切れるように終わるオーケストラのキレは,肌が泡立つような感動をおぼえる.しかし有名な334小節のフェルマータの長大さが際だつのはルツェルンだろうか.ルツェルンは録音としても演奏としてもフルトヴェングラー最後の第九で,内容的にも彼の解釈の完成型ではないかと言われている.

戦争の終結がもたらした解放と歓喜に満ちた,清気溌剌たるバイロイトか,2ヶ月後の入滅を予感した入神のタクトか,聴く人が選べばよいだろう.この演奏のすばらしさを説明する良いエピソードがある.カラヤンの演奏を良く聴いている若い友人にバイロイトの第九を貸した.

普段本などを読みながら聴いていると言うので,「これでも同じ事ができるか?」と,CDを渡した.果たして次の日に「これは聴き入ってしまって何も出来ない」と言っていた.3人に試して3人が同じ事を言っていたので,私の暗示のせいではないだろう.

コンサートで感動したのは,晩年に朝比奈が,都響(だったと思う)を指揮した第九で,これがあのオケか?と驚くほどにすばらしい演奏だった.確かにホルンやティンパニーはかなり限界に追い詰められて,弦も何度も危機を迎えたが,今でもこの時以上に感動した第九のコンサートは無い.

CDでは,ベームの最後の演奏も紹介しておこう.あまりにテンポが遅く,2枚組になっている.ソニーがCDの規格を策定している時に,カラヤンと大賀典夫が話をしている中で,第九が一枚で納まる事が条件となった事は半ば伝説となっているが,ベームの演奏はそれを裏切ったようだ.評価の分かれる演奏だが,私は本当にベームらしさに溢れた演奏だと思う.