No Direction Home - Bob Dylanの伝説 -

No Direction Home(PPF111184)
No Direction Home,このBob Dylanの名曲"Like a Rolling Stone"の一節からタイトルを得たドキュメンタリーは,全編が彼自身のmonologueによって構成されている.その彼の証言を周囲の人間の証言や当時のフィルムで検証していく.しかし,彼の証言と周囲の人間のそれは微妙な食い違いを見せる.そこに有るのは「孤独」である.
自分の事を本当に解ってくれる人間はどれだけ居るのだろう.何を語っても,また語らなくても,心の奥底は決して伝わることはない.同じ時間を共有したとしても,思いまでが同じ事はあり得ない.まして,同じ音楽を志した仲間達が,一人成功していくDylanに対する気持ちが真っ直ぐな物であるとは言えないだろう.
そして音楽業界の「大人」達の思惑.これを見ていて思い出したのは,「27歳の記憶」における,Glenn Gouldである.剥き出しの生の心に,世間の風あたりに爪を立てられ,血を流しているのは全く同じだ.ただDylanはよりしたたかで,「大人」達に対抗する術を持っていた.
成功に至る放浪と,格闘の日々は様々な事件や,出会いに満ちているので,長い長い時間の様に思われるが,実はほんの1~2年の出来事である.人より目立つために始めた,アコースティック・ギターと,クロス・ハープ,小さな帽子によれよれのジャケット.
売れ始めてからバックバンドをつけ,再びエレキを手にした彼を一部のファンは堕落と断じ,非難し続ける.本当は,彼の本来の音楽に戻っただけなのだが.また彼自身は自分の歌をプロテスト・ソングなどとは思っていなかった,しかしその詩は人々の心に抵抗と戦いの火を灯し続けた.そのことが彼の自由な音楽活動を縛ることに成ってしまう.
そして,冷戦とキューバ危機は,赤狩りによるフォークシンガーの弾圧へと向かう.愚かなマスコミは,ディランに役割を求め,レッテルを貼り,彼の全ての行動に意味を見つけたがる.それはマスコミだけではなく,ファンまでが,何かを与えられることを要求する.自分は彼に何も与えていなくても.ディランの望みは唯音楽をする事だったのに.
私が子供の頃,小遣いを貰って駄菓子を買うと,小銭のおつりを貰う.これを「お金が増える」と,大人達を笑わせるために言った.その後延々と本気で言っていたと思われ,笑われたことで随分傷ついたものだ.例が卑近だが,そう言った,気持ちの通じないもどかしさを,ディランは感情を込めずに,淡々と語っている.
このドキュメンタリーは以前NHKのBSで放映された,そのときは挿入される歌の場面で,歌詞の字幕が出ていた.Dylanの歌は歌詞が理解できなければ,その良さの半分も理解できない.DVDで歌詞に字幕が振られていないのが残念でならない.
そう言えば高校生の時に(歳がばれる),友人を誘ってディランの復活世界ツアーの掉尾を飾る,武道館公演に行った.友人にはディランの何が良いのか,理解してもらえなかったらしく,「付き合ってやった」と言われてショックだった(しかもその後随分長く根に持たれたようだ?).「生」のディランを見たと言うことが,どれ程歴史的なことか,やはり彼の詩を理解しなければ,彼を理解することにはならないのだろう.もっとも,その「詩」があまりに米国の歴史と,現実に結びついているため,「外国人」である我々には解りにくいのだろうが.
詩人の歌を聴きたくなった.勿論,歌詞の日本語訳は必携だが...