子殺しが「生」の充実?
18日付け日経新聞夕刊に掲載された,坂東眞砂子氏のエッセイは多方面で物議を醸し,新鮮さも無いので,今更何か書くのもつまらないと思っていたが,猫者としては一言必要かとも思う.どのみち,心に病を得ているとしか思われない発言なので,それ程目くじらを立てて批判するほどのことでもないのだが.
デカルトをはじめとする近代哲学において,動物は意識のない自動機械だとする二元論的な無味乾燥な議論の臭いがする.そもそも氏は,動物の「生」の本質は野生だと言っている.正論である.ところが,「従って避妊はしない」というところで,既に論が破綻している.飼っている時点で猫は野生ではない.
飼い猫の「生」の充実のために,社会的責任をとるため子猫を殺すということは,氏の言うところの飼い猫の「生」の充実の本質は「交尾」にあるということだろうか?痛みを引き受けてというのは一見「覚悟」のようだが,自分中心の「自己満足」でしかない.何故なら殺すことが猫に与える影響を考えるでもなく.自らの心の安定のための子猫殺しで有ることを,図らずも明らかにしているからである.
要するに,デカルト的に「動物の意識」など,存在しないかのようだ.本当に動物を飼っている,特にここでは猫を飼って居る諸兄諸姉に伺いたい.猫に喜怒哀楽は無いと思いますか?ブリーダーが子猫を取り上げたときに食欲不振になる母猫を,どう説明しますか?
これは機械的な反射ですか?氏の論は自己の精神の満足と,その行為を正当化する欺瞞に満ちている.決して痛みを受け入れ,責任を果たしているのではなく,少女漫画的な悲劇のヒロインを演じることに陶酔し,それを正当化しているに過ぎない.
第一「交尾」が「生」の充実なのか,あるいは「出産」が「生」の充実だと言っているのか判らないが,これは「母性」と「女性」に対する侮辱ではないか.野生を取り上げた時点で,その動物の生涯に責任を持つのは当然である(猫が厳密な意味で野生とは言えないだろうが).それは「交尾」を保証するすることなどではない.
何れにしろ,「食」以外の目的で継続的に生命を奪う場合,多くは精神の病に起因している.氏は心に病を得ているのであろう.気の毒なことである.