
ゴジラVSデストロイアのDVD(1995年東宝)
夏休みに手持ちの録画した映画や,見ていないDVDを纏めて何本か見ていた.その内の一本がこれである.実は録画してあったファイナルウォーズを漸く見てみたのだが,余りの情けなさに口直しとして一作目のゴジラと,この写真のDVDを見た.ファイナルウォーズは一部の熱狂的なゴジラマニアには受けがよいらしいが,「映画」ファンの私としては,どうにも消化不良で戴けない.
些か冗長になるが,ゴジラ映画の歴史を振り返ってみよう.
1954 ゴジラ
1955 ゴジラの逆襲
1962 キングコング対ゴジラ
1964 モスラ対ゴジラ
1964 三大怪獣 地球最大の決戦
1965 怪獣大戦争
1966 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
1967 怪獣島の決戦 ゴジラの息子
1968 怪獣総進撃
1969 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
1971 ゴジラ対ヘドラ
1972 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン
1973 ゴジラ対メガロ
1974 ゴジラ対メカゴジラ
1975 メカゴジラの逆襲
1984 ゴジラ
1989 ゴジラ対ビオランテ
1991 ゴジラVSキングギドラ
1992 ゴジラVSモスラ
1993 ゴジラVSメカゴジラ
1994 ゴジラVSスペースゴジラ
1995 ゴジラVSデストロイア
1999 ゴジラ2000 ミレニアム
2000 ゴジラxメガギラス G消滅作戦
2001 ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃
2002 ゴジラxメカゴジラ
2003 ゴジラxモスラxメカゴジラ 東京SOS
2004 ゴジラ ファイナル ウォーズ
映画は何作作っても一作目を超えることは出来ない.長い歴史の中に稀有な例もあるが,いかなる巨匠であろうと,この摂理の外に在ることは許されない事実だ.「ゴジラ映画」ではなく単に「映画」として見たときに,長いゴジラ映画の歴史で1954年の作品を超える物は一作としてない.
ただオトナも楽しめる映画として在る程度のクオリティーを持つ物も何作かある.写真のゴジラVSデストロイアはその筆頭に挙げられる作品だと私は思っている.例の新兵器SUPER-X(今作は三代目)が出てくるところはいただけないが,それ以外には脚本の大きな破綻もなく,一作目へのオマージュとしてゴジラ映画の正統なる様式を受け継いでいる.
ゴジラとは何か,それは「怒り」と「破壊」につきると思っている.ゴジラがもたらす物は理不尽な「破壊」と死である.ゴジラには自我は無く,ただ「怒り」が在るのみなのだ.それが一作目でははっきりと描かれている.戦場のような病院と,累々たる死,瓦礫と化す街,人間の浅はかな知恵など何の障壁にもならない「破壊」.それを人間が生み出したことへの自嘲と苦悩.それがゴジラなのだ.
所謂平成ゴジラシリーズの掉尾を飾るVSデストロイアは,本来的にはゴジラの存在意義と外れる,「人間によるゴジラの利用」が描かれてはいるが,脚本が巧いのだろう,また「語りすぎない」演出も良かったと思う.
これ以外で言うと,2000年の手塚監督によるVSメガギラスは秀作で,その前年のミレニアムもまあまあである(秀作とは言えないが).と考えると三作続いて良い作品が出たと言えるが,そのきっかけを作ったのはVSデストロイアであると言えるのだ.
ちなみにファイナルウォーズの何がダメかと言えば,まるで人間の手先になって,思うとおりに働くゴジラもダメだし,変なドラマを入れようとして,中盤までドラマとゴジラが乖離し,接点がまるでない.終盤になって唐突にゴジラを連れて来て,怪獣をやっつけるといった理不尽な展開は失笑物だ.おまけに俳優陣が最低.さらに意味もなく色々な映画のパロディを入れているのが,ゴジラ映画が持つべき風韻を台無しにしている.監督も脚本家もゴジラ映画の意味を理解していないのではないだろうか.
個人的にはスーパーマリオのおっさんが笑えて好きだが,なんで吹き替えなんでしょう?
もしゴジラ映画が復活するのであれば,破壊と恐怖をきちんと描いた作品にしてもらいたいものだ.