The ENIGMA<謎> - スヴャトスラフ・リヒテル

The Enigma (Warner Music Vision)
スヴャトスラフ・リヒテル(1915-1997)は間違いなく,20世紀最高のピアニストの一人である.1960年に西側での演奏活動を始めるまでは,伝説が伝えられるだけの存在だった.しかし西側にその実像が伝わってからも,カメラ嫌いの彼は「謎」であった.その素顔は,1998年に発表された,この映像によって初めて明らかにされたのである.
この作品には30代前半と覚しき,若い彼の映像から,数々の名演奏家との競演,ルービンシュタインや,グレン・グールドといった彼を知る巨匠達の証言まで,貴重な映像が納められている.彼の真実の姿を知る貴重なドキュメンタリーだ.
晩年彼はリサイタルで必ず楽譜を見ながら演奏していた.多くの批評家達は,暗譜出来ないのだと思いこみ批判したが,実際には彼が記憶魔である事をまず冒頭で明らかにしている.幼い頃に暮らしていた街で,関わりのあった家の住人,その親戚に至るまで名前を覚えている.そもそもこのドキュメンタリーは,カメラの前で彼が1972年から覚えている事を書き綴ったノートを読むという型式になっているのだが.その記述は詳細を究め,何年にどこでコンサートをしたか,誰と競演したか,実に細かく書かれている.つまり彼は音楽の真実は楽譜にあり,演奏家が恣意的に変更したり,勝手な解釈を行うことは好ましくないと考えているのだ.実際にこの映像の中で彼はそう証言している.
1957年に演奏旅行でモスクワを訪れていた,グレン・グールドはリヒテルの演奏に接し,作曲家が書いた楽曲と,聴衆を結ぶ真の芸術家であると語っている.またグールドはシューベルトの曲の「くどい構成」が嫌い(繰り返しが多い)で,自分のレパートリーにすることは無かった,さらに人が演奏しているのを聴くのも嫌だったが,リヒテルの演奏を聴いて,その繰り返しが必然であるように感じたと言っている.
この二人は様々な面で対極に位置している.リヒテルは録音の殆どがライブだが,グールドは殆どがスタジオ録音である.リヒテルは全てを楽譜通りに弾くが,グールドは繰り返しは殆ど無視している.リヒテルは分析が嫌いで,自分のことさえ語らなかったが,グールドは自己分析を行い,楽曲の分析にもこだわった.録音嫌いのリヒテルに対し,グールド自分の活動を全て記録しようとしたし,録音の技術的な問題にまで注文をつけた.
しかし,彼等はお互いに強く意識していた形跡がある.リヒテルもある時グールドはすばらしい演奏家である事を認めながら,繰り返しを省略することに注文をつけていたし,グールドのゴールドベルグを強く意識し,それが彼がゴールドベルグを録音しなかった原因と考えられている.それが真実か判らないが,リヒテルがゴールドベルグを録音しなかったのは事実だ.この映像には含まれていないが,インタビューでリヒテルがそのこと(グールドの演奏)にふれ,自分もいつか録音したいと語っている(全部弾き切れればの話だがと言っている).
雷鳴のようなフォルテシモと,あのごつい指先からは考えられないような,リリカルなピアニッシモ.超絶的な技巧で知られるミケランジェリが,4本の手でも敵わないと言った精緻を極めるテクニック.そのような一つ一つの些事ではなく,芸術的存在としてのリヒテルそのものを感じることができる.
もう一人比較するとすれば,ホロビッツは芸術的な演奏家ではあったが,芸術的な音楽家であっただろうか?「ホロビッツのショパン」とは云われるが,「リヒテルのシューベルト」とか,「リヒテルのベートーベン」とは云わない.それはカラヤンの演奏はカラヤンそのもので,果たして再現芸術なのかどうかという疑問と同じである.どうも西側の商業主義にうまく乗った演奏家は私の好みには合わないらしい.
私が初めてレコードというメディアで聴いたピアニストがリヒテルだった.それは彼があまり好きではないカラヤンと協演したチャイコフスキーのピアノ協奏曲である.ヴィスロツキと協演したラフマニノフの協奏曲との2枚組だった.彼が好むと好まざるとに関わらず,名盤として現在も聴かれている録音である.私にとってこれが幸運だったのか,不幸だったのか.
1980年代以降,来日すれば必ず1回か2回の公演を聴いた.彼なりに良いとき悪いときがあったが,気の抜けた演奏は一度たりとも無かった.そこが現代の演奏家に見習って欲しい点である.