« 2006年02月 | メイン | 2006年04月 »
ちょっと嬉しくてはしゃいでしまった.週末ならともかく,月曜なので食材を買うのはどうした物かと思いましたが.結局買ってしまいました.¥560なり.こちらの人は知らない人が多いでしょうに.果物と思って買う客が居るのではなかろうかと,心配になってしまいます.イトーヨーカドーが九州沖縄物産市をやっていて,珍しくこんな物が置いてありました.子供の頭ほどもあります.こんなに大きいのは今まで沖縄でも見たことがありません.
良く訪れた沖縄の離島で,何度もお茶をごちそうになった「おばぁ」が,お茶うけを作ると言って,隣の家との境の垣根の向こうに生えている(要するに隣家の庭の)青パパイヤをもいで,薄切りにして醤油とコーレグースで和えて,鰹節を振りかけた物を出してくれました.「おばぁ」の法律によると,地下にある物はその土地の物だが,地面の上にある物は「みんなの物」だそうです.他の食べ方としては,クーブイリチーに入っていたり,豚肉と炒めたり.そう,青パパイヤは野菜なのです.
ずっと青パパイヤは普通のパパイヤの未成熟果と思っていましたが,何年も後になって「種類がちがうさぁ」と云われました.若い果実も使うのですが,それは「もったいない」との事,当然ですね.
沖縄料理のレシピはこちらをどうぞ,ここは便利なので私も良く利用します.タイやベトナムでは,唐辛子とナンプラーでサラダにしますが.沖縄は炒め物にも使うところが違います.ちなみに漬け物にするときに,オーブンで乾燥させてから使うと,しゃっきりした食感が強調されて,味も良くなります.
青パパイヤは健康食品としても評価が高いので,見つけたらお試し下さい.でも沖縄以外で見つけたのは初めてです.
今日は外で食事を済ませてしまったので,明日から楽しみです.
Silent Networkの旧サイトに掲載されていた御蔵島のイルカのビデオをリマスターしました.サイズが小さくなるので,WMVフォーマットにしましたが,MSのG氏の手先では有りません.以前NTSCのフォーマットで掲載していたら,米国の子供からビデオが見られないと苦情が有りました.デコーダーを追加しろと,英語で子供に説明するのは大変だったので,エンコードし直して,CDで送ってあげました.そんなこともあるのでWMVになりました.
このビデオは,1998年と1999年のものです.つまり三宅島の噴火前の画像になります.暫く三宅からのドルフィン・スイムが入らなかったので,イルカが人懐こく成ったと言う話もありましたが.
このビデオでも判りますが,イルカの群れが人間と遊ぶときには,彼等なりのフォーメーションとルールがあり,人間側もそのルールを尊重しなければなりません.一つは必ず若いオスが3頭から5頭くらいで偵察に来ます.危害を加えられる心配が無いか,遊べそうな人間が居るか,そんなことを確認しているようです.その後子供や母親を含む群れの本隊がやってきます.
夏から秋にかけてはまだ小さな子イルカが群れにいるため,慎重に成っているのかもしれません.子連れのイルカが何頭か映っています.実は泳ぎながら乳をねだるシーンがちらっと映っているのですが,探してみてください.
現在私の手元に3種のGoldbergがある.ひとつは1981年Glenn Gouldの二度目の録音(ピアノ),もうひとつはGustav Leonhardtの1975年の録音(チェンバロ),そして1969年にKarl Richterが日生劇場でライブ録音したものだ(チェンバロ).Sviatoslav Richterがこの曲を録音しなかったのは如何にも残念である.
リヒテルとグールドについては,そのうち詳しく語ろうと思うので,ここではゴールドベルク変奏曲について語ろう.この曲はロシア公使カイザーリンク伯爵が不眠症に罹っており,眠れぬ夜に14歳のゴールドベルクと言うお抱え音楽家にクラヴィーアを演奏させていたが,そのため伯爵がバッハに依頼して書かせた曲集であると言われている.
近年この伝説は眉唾とされているが,冒頭と掉尾と飾るアリア,自由変奏,2段鍵盤のデュエット,カノンという3曲を繰り返し,カノンの音程が1度ずつ繰り上がるといったシンメトリー構造などが,聴き手に物語を連想させる事から生まれた言い伝えかもしれない.
この三つの録音は,それぞれが全く違うアプローチで綴られているが,どれもすばらしい名演と言えるだろう.リヒターの演奏は骨太のゴシック建築を思わせる正統的な古典派の解釈と言えるだろう.グスタフ・レオンハルトの演奏は,実に煌びやかな万華鏡のような光に満ちている.そしてグレン・グールドの演奏はもっとも物語的で,聞き終わった後に寝物語に昔話を聞いたような安堵感がある.
演奏の形態としては,厳密に繰り返しを行うリヒターに対し,グールド,レオンハルトともに繰り返しを省くなど,にている点がある.演奏時間もアリアで比較すると,リヒターが4'14"であるのに対し,グールドは3'05"レオンハルトに至っては2"30"とリヒターの半分の時間で弾いている.
リヒターの演奏は,バッハ演奏はかくあるべしと云う手本のような演奏なのだが,レオンハルトやグールドの演奏を聴いた後だと,若干退屈に感じてしまう.
グールドはピアノで弾いているので別としても,レオンハルトとリヒターの録音は同じ曲とは思えないほど,解釈が違う.最もバッハ的であるのはリヒター盤だが,最もこの曲の性格を表現しきっているのはグールド盤のような気がする.レオンハルトの演奏は宮廷における即興演奏のような感じがする.
この曲は2曲のアリアと30曲の変奏曲から成る曲集だが,先に述べたように有機的に一つの曲としての完成度を持った不思議な曲集なのである.その意味で,全体が完成された一つの曲として表現されているグールド盤は魅力的である.
初めてグールド盤を聞いたとき,最後に冒頭の主題が回帰した瞬間,本当に一つの物語を誰かに読み聞かされたような,ゆったりとした満足感を感じた.但し,演奏しながらグールドが鼻歌を歌っているのはちょっと不気味でいただけないが.
何れにしろ,同じ曲をこのように多彩なバリエーションで聴けるのが,クラシックの魅力であろう.
眠れぬ夜に,グールドのゴールドベルクを...
前回,ストロボなど焚いて不機嫌な写真に成ってしまったので,撮り直し.
職場に限らず,我が家から駅への道すがら,猫社会が構築されている.今回は駅までに居る顔見知りを紹介しよう.まず我が家に一番近い場所.そば屋の向かいにあるアパート近辺にいる,白地に縞のある「小林さん」.朝早くにいそいそとねぐらに帰る処で出会う.朝帰り猫だ.
次は「信虎」と「景虎」.これは道の両側に非常に大きな空き地があり,駐車場として使われているのだが,双方がそれぞれ左右の空き地を縄張りにしている.まるで川中島のようなので,謙信と信玄の親父の字を名前にした(信虎が年寄りなので).昼下がりにお互いに領地を侵犯しようとして,いきなり出会い,凄い形相で固まっているのを何度か見た.ところが最近信虎の領地がマンション建設のため囲いがされ,工事の準備が始まってしまった.信虎とともに,景虎も消えてしまった.
産婦人科の裏に居る「お嬢」.やや長毛種が混ざっていて,いつもけだるそうに寝ている.向かいにある水道工事屋の太っちょ猫「エヘン」が,良くちょっかいを出している.エヘンは太っちょで,鼻の下にちょび髭のように黒いところがある.しかし事務所が表通りに引っ越したので最近見かけなくなった.
次はお寿司屋の「シロさん」.非常に様子の良い白猫で,アルビノっぽさが無く,眼の周りや鼻の下がピンクに成っていないので,とても美人.女性に人気がある.以前エヘンがちょっかいを出していた事もあるが,まるで相手にしていなかった.
シロさんとは私も仲が良く,自転車で通るときに「シロさん」と呼ぶと「ニャン」と応えてくれる.その様子を見ていたのか,最近は女子高生などが「シロさん」と呼んで,撫でている.
最後は外人さんの家の「かつら」.三毛なのだが,頭がおかっぱ頭のような形で黒くなっている.この家は沖縄の民家のような,コンクリの平屋で,猫が集まりやすいらしい.シロさんやエヘン,お嬢が集まって町内会を開いていることがある.
以上が我が家から駅までの猫社会だ.見えなくなった信虎と景虎が心配だ.どこかで元気にしていて欲しい.
本日,日本は韓国を6-0で破り,めでたく決勝に進出した.試合を見ていて思ったことは,各選手が日本代表になった事で得た物の大きさだ.あの何事にもクールなイチローが,一生懸命プレーし,相変わらず分かり切った質問しかしない日本の間の抜けたインタビューに「まじめな受け答え」をしている.
チャレンジ最初の年の城島は気の毒にしても,松井や井口は出るべきであったと思う.2軍半程度の選手が多いオープン戦をちんたらやるより,どれくらい得るものが有ったことか.事実,昨年,一昨年プレーオフで厳しい真剣勝負を行ったパ・リーグが,セを圧倒したではないか.
そして,負けた韓国は気の毒に思うが,予選,準決勝を通じて,応援のマナーに疑問を感じた.普通野球の応援は交代で,攻撃側がするものだ.しかし本日の試合でも,韓国の応援団はずっと鳴り物を鳴らし,「大韓民国(でーはんみんぐ)」の応援をしっぱなしだった.予選でマウンドを掘り返し旗を立てたのもいかがかと思う.
このあたり,中国や韓国の国民の文化的に洗練されていない,野暮ったさを若干感じる.それは法律や国家権力の強さに,民主主義に徹し切れていない面を感じさせるのと同じだ.しかし逆に,彼等が文化的に洗練されてきたときが,日本の踏ん張りどころと成るのであろう.
2勝した韓国が決勝に進めず,最後に1勝した日本が決勝に進出する.まさに項羽と劉邦の故事のようで,韓国には気の毒だが,前々回のオリンピックで,日本のソフトボールもアメリカに同じ眼にあわされた.
兎に角,項羽に100敗しても最後に1勝し400年に及ぶ漢王朝の基礎を作った劉邦のように,日本も決勝で勝って欲しいものだ.
追記:
あの審判が2累塁審だった.幸いなことに日本対韓国では彼にとって利害が絡まなかったのだろう.あからさまな誤審はなかった.今回のWBCは運営から審判の選択にまで,米国有利に成っていた.6割以上が米国の審判だし,米国が入っていた予選Bグループは地区予選を一位で通過すると,その後の試合が全て1日おきに成るような日程だった.また2次リーグの組み合わせは抽選ではなく,あらかじめ決められていたり,不審は挙げればきりがない.
かの審判は米国内の様々な大会で,誤審をして首になる札付きらしい.そんな審判が選ばれていることだけでも,彼が10人目の選手として送り込まれた刺客であることは疑いようもない.
しかし,日本戦のタッチアップの件も酷かったが,メキシコ戦のホームランをエンタイトルにしてしまうのは...今後もWBCを続けるなら,サッカーのWカップのような運営が望まれる.
沖縄に行ったことのある人は,T字路の突き当たりに,この石で出来た札を見たことがあるだろう.今でもあちこちに有るし.新たにつけられている.「せきかんとう」もしくは「いしがんとう」と読むのが標準的な読み方で,効能は魔避けで,一致しているのだが.いわれに関しては,Webを検索しただけでも,次々と出てくる.
中には「中国の武将の名前だ」などという怪しげなのもある.が,しかし...
素直に読めば,「石に,敢えて当たるべし」である.そのまま,魔物に対し,「この石に当たれ」と,「呪」を掛けているのであろう.ところが不思議なことに,Webサイトを見た限りでは,このように素直に漢文読みをもってその謂われであるとしているところが無い.名前説には,「中国であざなに使う字としては例がない」としいる方もいるのだが.
おそらくは大衆のロマンティックな物を求める気持ちが,正論を駆逐する例なのだろう.一度伝説が出来てしまうと,真実が分かっても巷説は訂正されにくい.良い例がネス湖の恐竜の件で,一番最初に騒ぎの発端になった写真がでっち上げである事が明らかになった後も,「ねつ造が判明したのは写真であって存在そのものではない」などという不思議な理論が展開されていたり,未だに新説・珍説が出ている.(特に日本には否定したがらない傾向が強いらしい)
ちなみに私はトッペイのように,石敢當の写真を持ち歩いている訳ではない(意味のわからない人は手塚治虫の「バンパイア」を読むべし).しかし,新しいパターンを見つける度に写真に撮ってはいるが...
実は我が家の入り口は,奥まった場所に有るので,是非石敢當を貼りたいと思っているのだが,関東地方では手に入らないようだ.
とにかく.「石に敢えて当たるべし」という「呪」なのだという説を広めたい筆者であった.
素直だと思うのだが???
コーヒー豆販売の南蛮屋で,久しぶりにKopi Luwak(コピ・ルアク)が入荷していました.知る人ぞ知る,ジャコウネコが完熟したコーヒーの果実を食べて,消化されない種(コーヒー豆)を糞として排泄したものです.かつてイグノーベル賞の栄養学賞を受賞(1995年)しました.
ジャコウネコの性器周辺の臭腺からの分泌物に含まれるシベトンは,ChanelNo.5にもブレンドされ,古くはクレオパトラが愛用したと言われ,漢方の世界では霊猫香と言い,媚薬,制汗作用,覚醒作用があるとされています.果たして豆にシベトンが残留しているのか,かなり疑問ですが.
一缶50gで¥2,400なり!普通のコーヒーは100gで¥500~¥600なので,8倍くらいの金額です,ちなみに朝日新聞で昨年暮れに紹介されたとき,ニューヨークでの値段が1ポンド(450g)で,175ドル(¥20,500)程度なので,金額は国際標準価格と考えていいようです.
見た目は写真の通り,普通のコーヒーと変わりません.豆の状態での香りは,やや通常と違う香味が有るように感じました.コピ.ルアクは軽めに焙煎した方が良いとされています,やはり見た目は焙煎が軽そうです.
さて肝心の味は,微妙ですが,かなりこくがあり,酸味,苦みともにバランスが良く,上質のコーヒーという感じです.当初どういう豆かわからなかったのですが,ロブスタ種(低地豆)という事なので,元はあまり高級な豆では無いということになります.印象としては,オールド・ビーンズの様な感じです.ロブスタ種のコーヒーでこのコクとバランスの良さが味わえるなら,ジャコウネコの消化器は錬金術的な効果があるようです.もっとも実際にたいした錬金術で豆を10倍の値段にしています.(通常ロブスタ種は豆の銘柄が有りません,木としての種別も無いそうです.つまり<雑種>と言うこと,単に「レギュラー」と書いてある安いコーヒーがこれです.)
飲み終わった後にちょっと他のコーヒーと違う香味が残ります.かなり長く持続する感じで,好きな人にはたまらないというやつですか?値段と比べてどうかと言えば,アラビカ種の上等で新鮮な豆の方がどう考えても費用に応じた効果が得られるでしょう.どのみちインドネシア全体で年間400kg~500kgしか生産されないそうなので,常用には出来ませんから,「年に一度購入して味わう珍品」としては面白いと思います.
興味のある方は一度おためし下さい.
これを見て何に使う器具かご存じの方は,フランスやイタリアの料理に詳しい方であろう.主な用途はスープを作る際に,裏漉しするために使う.イタリアンでは,トマト・ソースを作るために使われることが多いようだ.
写真のムーランは非常に小さい物で殆ど一人用と言っても良い.本格的な物では,メッシュ部分を交換することで,漉したい具材に合わせる事ができる.これはイタリア製で,どちらかというとトマトの裏漉しに用途を絞った製品のようだ.ちょうどトマトの種を取り除ける大きさのメッシュがついていて,交換は出来ない.
何故このような物を買ったかと言えば,おいしいトマト・ソースを作りたかったから.ただそれだけだ.何しろ探すにのに苦労した.名前を思い出すのに苦労したし,売っていそうな店は片っ端から探した.苦労の甲斐あって見つけたのが,このチビ・ムーランだ.今ではメッシュを交換できる,大きめのボウルくらいの物も持っているが,これを見つけた時はありがたかった.
ちなみにイタリアではこのように器具を単機能にするのが好きなようだ.アスパラ専用の茹で鍋が有るのには驚いた.キッチンが広いのか,不器用なのか,どちらでしょう?
トマト・ソースはイタリアンの基本,所謂イタリア版お袋の味(マンマの味)というわけだ.日本料理で言えば出汁にあたる.簡単なトマト・ソースの作り方を紹介しましょう.
プロに聞いた方法では無いので,そういう本格的なつっこみはご遠慮願いたい.
1)トマトを湯むきして,鍋でつぶしながら煮る.(オリーブオイル少々,一人分でトマト中4つも使う!)
2)赤ワインを少々(大さじ1くらい)入れてからよく煮詰める.
3)へらで鍋を掻いたときに,鍋底が見えるようになったら,バジルを一枝.
ちなみにバジルはあまり洗わない方がいいようだ.香りがすぐに無くなってしまう.
4)少し熱したところで,ムーランで漉す.
5)漉したらオリーブオイルを少々加え,塩をひとつまみ.
茹でたてのパスタにかけると,驚くほど本格的なトマト・ソースのできあがり.
パスタはニンニクを炒めて香り付けしたオイルを絡めてから,ソースをかけるとさらに美味しくなります.
日本の酸味の少ないトマトの場合,漉した後に,バルサミコを小さじ半分程度加えると,味が締まります.漉した後はできれば再加熱は最小限に.バジルの香りが飛んでしまいます.もう一つトマトは良く加熱した方が旨味が出てくるようです.
これは,ミートソースやその他の料理に応用できるので,お試しあれ.
このカテゴリーはCuisine.イタリアならCucinaですか?この方が良かったかと後悔していますが.料理関係のうんちくを少々紹介していきます.
小笠原の海は独特の色をしている.いわゆる紺碧よりもやや明るい鮮やかな青を湛えている.群青というのはあのような色を云うのだろうか.そして見た目には微妙にドロッとした質感.小笠原海溝の深さによるものかもしれない.クジラはGentle Giantと呼ばれるが,このしろわにはさしずめGentle Hunterと云ったところか.
恐ろしげな乱杭歯のせいか,英名では Sand Tiger Sharkなどという名で呼ばれているが,非常におとなしいサメで,驚かさなければ撫でることもできる(所謂Tiger Sharkとは違う).このサメの口の左側には大きな釣り針が食い込んでいた.
延縄にかかった魚にでも食らいついたのか,あるいはカジキを狙うスポーツ・フィッシャーの針にでも掛かったのか.2mを軽く超える体長に成長した彼に「人」以外の天敵はいない.
私は釣り人が嫌いだ.生業で魚を獲っている人のことではない.たばこを吸う人間と同じで,どういう訳かマナーの良い人間に出会ったことが無い.水源の人造湖で,水質が悪くなるので,つりをするなと言っても,釣りをする.のみならず,ゴミを捨て,撒き餌をまき,残った餌を捨て,テグスを平気で捨てる.あまつさえ外来種を持ち込み,回収しようとする自治体やNGOにテロリスト紛いの妨害をする.
さらに笑止なのは,ブラックバスを釣ってリリースして,それが自然保護だとか,命を大切にしているとか寝言を言っていることだ.外来種によって生存の危機にさらされる在来種の命はどうなるのか?いずれにしても自分の趣味のためには,何をやっても良いと考えている人種だと私は思っている.
話が逸れてしまったが,この写真を見て,おとなしい魚だと思う人がいるだろうか?実際に海でしろわにに遭遇した人なら,撫でられるほどおとなしいサメであることを,肌で感じたに違いない.
真実は常に現場にある.真実を知るためにはフィールドに出るしかない.しかし気をつけなければいけない事は,一面で判断してはいけないということだ.北米のブラックバスが自然に棲息する環境において,キャッチ・アンド・リリースすることは自然の保全であっても,日本の河川湖沼においては,有害外来種の蔓延に手を貸す行為なのだ.(バスの駆除はバス釣りを楽しむ権利の侵害だなどというのは論外)
サメ狩りに参加し,撒いた餌に食いつく姿を見れば,恐ろしいと思うだろう.海の中で撫でた人間と,およそ反対の印象を持つに違いない.
野生生物を動物園や水族館で飼育する事を正当化する理由に,教育的効果を挙げるケースがあるが,一般の人たちは水族館や動物園でみた姿から,それらの生物の本来の姿を連想できるほど,想像力が豊かなのだろうか?せいぜいペットに対する愛情と同じような感情をもつのが関の山ではないのだろうか?
いかなる時も,フィールドに出て,いろいろな側面を見る事こそ.真実を知る唯一の方法なのだ.

Legend DVD盤(Island)
私のCDコレクションにおいて,Completeしているアーティストが何組か有る.1つはもちろん,私がレコードというメディアによって音楽を聴き始めたそのきっかけであり,大きな影響を受けたThe Beatlesである.もう1つ,ビートルズ以降でもっとも強いインプレッションを受けた,Led Zeppelin.そして一人のアーティストとしては,ピアニストのリヒテルに匹敵する程に,敬愛してやまないBob Marleyである.
もちろんCompleteと言うのは,生前に本人達の意志で発売された正規盤のみで,企画盤は含まない.しかし,Bob Marleyに関しては,企画盤を含めてもCompleteに近い状態である.
「何が好きなのか」と言えば,その音楽も,声も,生き方も,そしてまるで物語のような彼の人生そのものが好きでたまらない.
ラスタファリ.これはジャマイカの民間信仰にある,アフリカの王がやがてアフリカと,アフリカから連れてこられた人々の全てを統一するという物語が,エチオピア皇帝ハイレ・セラシエにおいて実現すると考えるムーブメント,およびそれを信じる人を示す言葉である.セラシエの本名ラスタ・ファリ・マコネンに由来する.
ラスタファリへの傾倒は,Bob Marleyにとって諸刃の剣であった.それは,オノ・ヨーコと結婚したJohn Lennonへの評価に極めて似ている.妻リタ・マーリィーによって,ラスタファリズムに染まった彼は,伝道師となり,様々な機会において,ラスタファリズムについて説くようになる.
ただ,その間も彼の歌は淡々と民衆の苦しみや,貧困にあえぐ生活を,淡々と明るく前向きに歌っている.押しつけがましさは微塵もなく,暗さはその影を射す事もない.声の限りに訴えるのでもなく.前向きに生きろと彼は云う.
Get up Stand up.
Don't give up the fight.
私には何もない,有るのは権利だけだ.
生きること,それは戦いだ.
貧しいジャマイカにおいて,白人との混血であるがために,無視され仲間に入れてもらえなかった少年時代.父親の農場と全てを捨てて街へ出た彼は,どん底の生活にあえぐ民衆と音楽(レゲエ)を見つけた.やがて貧困の救済を求める魂のエヴァンゲリストとして大衆の支持を得たが,売れたことでまた嫉妬や誹謗中傷に曝されることになる.
ラスタファリズムへの傾倒により,政府周辺からも警戒された彼は,肉親を捨ててまで選んだ祖国ジャマイカから追われ,ヨーロッパに渡る事になる.それでも彼は祖国や,民衆を非難することはなかった.ただ彼の詩にささやかな愛情や,幸せを願うものが多くなった.しかし,込められた願いに変化は無かった.彼自身もそう証言している.
あまりにも有名なNo Woman No Cryや,Is this Love?は一見して抵抗の歌ですらない.その辺の機微は,このDVDに収録されている,長編ドキュメンタリーで,Bob Marley自信の言葉で聞いてもらいたいものだ.
ところで,I Shot the Sheriff.は,クラプトンの曲だと思っている人が多いのではないだろうか?
おっとConcrete Jungleも忘れてはいけない.
-平均律クラビーア曲集,あるいは全ての全音と半音を長3度,つまりド・レ・ミにも,短3度,つまりレ・ミ・ファに関しても,それに基づいた調性を用いて作られた前奏曲とフーガ集.音楽を志す若き人々のために役立つように,そしてまた,既にこの学習に熟達した人々の特別な楽しみのために.現アンハルト・ケーテン公の宮廷楽長であり,その室内楽団の監督であるヨハン・セバスチャン・バッハがこれを起草し完成す.1722年.- (バッハ自身による平均律クラビーア曲集第一集の表紙書きより)
シュバイツアー曰く,「バッハは終焉である.バッハの後には何も発せられない,何故なら一切がバッハを目指して進んできたものであり,バッハに収斂しているのである」.
バッハという人は,あらゆる楽器の演奏家に対し,このような挑戦ともとれる曲集を残している.チェリストにとっては無伴奏チェロソナタであり,ヴァイオリニストにとっては無伴奏ソナタとパルティータである.またオルガニストには巨大なフーガと前奏曲集があり,鍵盤楽器のために残されたのがこの平均律クラビーア曲集であり,ゴールドベルク変奏曲集である.
これらの曲は,バッハの表紙書きの通り,技術的には学習書として最適なものとなっているが,「熟練した者」にとっては「特別な楽しみ」になるような曲群なのだ.「特別な楽しみ」というのが曲者で.実は「プロ」がこれを芸術として弾く場合の難しさは半端なものでは無いだろう.
平均律クラビーアに関して言えば,一曲あたりはほんの数分で,24の調性について一曲ずつ,前奏曲とフーガによる構成で,第一集,第二集併せて48曲からなる.曲が短いので,演奏者がかってにテンポを変えたりすることは許されない.その中で深遠な精神性を表現するのは至難の業だ.もちろん技術的に破綻しようものなら,「初心者の練習用」というバッハの容赦ない鞭が待っている.
※平均律とは何か,興味のある方は,ネット検索してみるといいだろう.このテーマだけで一大論文が書けるので,詳細はそちらに譲ろう.
20世紀最高のピアニストの一人と言っても過言ではないスヴャトスラフ・リヒテルは,2度にわたり全曲録音している.最初の録音は1970年から1973年の3月に掛けて,ザルツブルクのクレスハイム宮殿で録音されたもので,2度目は1973年の6月と8月にインスブルックでライブ録音されたものだ.
右側は長く日本国内で売られていた最初の録音で,国内にあるマスターからプレスしたものだ.真ん中のRCA盤は,このマスターのオリジナルに当たる録音で,もっとも状態が良いとされているものだ.左側が2度目のライブ録音になっている.
リヒテルは繰り返し,一回目の録音の第二集の録音状態についてこぼしている.特に変ホ短調(第8番)と嬰へ短調(第14番)は最悪だと言っている.おそらく気がかりだったに違いない.体調を崩してから,「後進のために」と言うことで,発売を許可した録音の中に,2度目の録音が含まれていた.
国内のマスター盤に比べれば,RCA盤は比較にならないくらいマシだが,リヒテルの答えは2度目の録音にあったのだろうか.機会があれば是非聞き比べていただきたい.
ベートーヴェンのソナタや,協奏曲でリヒテルが見せる巨大なピアにズムとは違う,繊細かつ厳格な芸術性を垣間見ることができる.そしてその両面性こそがリヒテルなのである.
陽気もすっかり春めいて,花粉シーズンも本格化.春は風も強いし.本日は天気も良いので,自転車を洗うことに.あまり本格的にはしませんが,砂や古くなったオイルの汚れは気分が悪いのでキレイにしましょう.
用意するのは,バケツに水,中性洗剤を少々.スポンジでザッとかけ回して,泥を落とし,細かいところは柔らかいブラシでおとします.水をかけて洗剤を流してから,ディグリーサーなどで,スプロケットや,ディレイラーの細かいところに付着したオイルや汚れを飛ばします.私はエコテックのを使っていますが,気持ちよく汚れが落ちます.もちろんハブなど,グリスを使っている部分にかからないよう気をつけて.
ワイヤーを薄くグリスアップして,可動部にオイルをさして.秘密兵器はクリンビューのノータッチ.タイヤにスプレーすると真っ黒に...ホイール部分などにかかった場合は,すぐに拭き取ることをお忘れ無く.タイヤの色だけでなく,劣化防止にも成るのでおすすめです.
これで,暫く自転車はお蔵入り.花粉が無くなったら,また乗りましょう.
さて,フィッティングの件ですが.私の場合,ハンドルを2.5cmくらい下げて,素足でサドルに腰掛けてかかとがペダルにつくぎりぎりくらいにサドルを下げて,サドルの位置を1cmほど後ろに下げたところで,おしりの痛みがかなり緩和されました.乗った後の膝や股関節の痛みも無く,しばらくはこれでいこうかと思っています.
最近はどの本にも,サドル高を決める場合,股下の長さに0.87を掛けた長さをサドルの中心上部からBBまでの高さにすると書いてありますが.これをやると,走るときに妙に膝が上に上がります.極端に言うとなんか胃を膝(と腹の肉)で揉んでいる感じ.この高さだと,足がつくので,安全性への配慮でしょうかねぇ.警察や自転車業界もこんな事を指導するくらいなら.歩道での暴走や,右側逆送と無灯火を注意してほしいものです.
さて,位置がうまく決まったら,マジックで印をつけるなり,計測値を記録するなりして,保存しましょう.もちろん個人の体型やライディング・スタイル,車種,フレーム・サイズによりベスト・ポジションは違います.洗車の仕方や使用する薬品の種類等は,ご自分の責任で.廃油は流さないように環境に配慮を!
このカメラと何度海に行っただろうか.三宅,御蔵のドルフィン・スイム,小笠原,沖縄,パラオ,シパダンに,ホンジュラスのアンソニーズ・キー・リゾートまで.文字通り地球の裏側までともに旅をしてきた.特にこのR-UW 13mmは,かつて無い切れのある広角写真をもたらしてくれた,信頼できる相棒だった.
他に,マクロ撮影用に,EOS-KISSのハウジングもあり,かつてはNIKON-F90のハウジングも使っていた.故有って今は陸に上がったカッパを決め込んでいるが.その間に写真事情は大きく変わってしまった.果たして,今後海に行くときにこの相棒達を手にするのだろうか.
いま陸上ではデジタル・カメラ以外を使用することはない.EOS-20DとIXYが地上での相棒となっている.20Dは4GのMicroDriveを使用しているが,短い旅行なら,すべてのカットをRAW+JPEGの最大画像ででも撮らない限り,途中でデータを吸い上げたり,メディアを交換する事無く終えることができる.
地上にあってはフィルムの交換はそれ程苦にならないが,海にあっては生死を分かつほどのプレッシャーとなる.海岸においても,自分自身の髪からの滴や,風に含まれる水分と塩分はカメラという精密光学機器にとって大敵である.ましてやボートの上に置いては,よほどのことが無い限り,交換しようとは思わない.
しかし,海外ではボートで出たまま2本のダイビングをこなす場合も多い.36枚という限られたカット数で2本潜るには,被写体を吟味しなくてはならないし,無駄な試し撮りは出来ない.絞りを変えて撮りたくても,その内のどれか一つに決めなくてはならない場合が多い.
デジタル・カメラはこれらの問題を一挙に解決してくれるすばらしい革命なのだ.一般生活においても,フィルムを変えなくて済む,現像せずにその場で確認できるというメリットがどれだけ便利なことか.おそらく地上世界においてデジタルがフィルムを駆逐するスピード以上に,水中世界でのデジタル化は早いのではないだろうか.
相棒は,今暗い押し入れの中で,乾燥剤を枕に眠っている.

内田百閒 「ノラや」
内田百閒は夏目漱石門下で,いわゆる明治の文豪のひとりである.黒澤明の映画「まあだだよ」は,百閒の「まあだかい」の他,この「ノラや」も含む何作かを纏めて脚本にしている.他にも「阿房列車」など佳作が多い.独特の語り口で,いかにも明治という,中世と近代の入り交じった時代の空気を持った文章を書く作家だ.
このちくま文庫版は,「ノラ」シリーズと,その他の猫にまつわる短編等を纏めたもので,とりわけ猫との関わりが深い百閒の猫に対する思いを知ることができる.
「ノラ」シリーズは,百閒が偶然から飼うことになった,野良猫の「ノラ」との出会いと,絆を描く「彼は猫である」から,ノラの失踪により百閒が惑乱し,悲嘆に暮れる様を,まるでもう一人の百閒が見つめるかのように語る「ノラや」「ノラやノラや」「ノラに降る村しぐれ」「ノラ未だ帰らず」,そしてノラの後釜に座ったやはり野良猫の「クルツ」を語る「猫の耳の秋風」「クルやお前か」「カーテル・クルツ補遺」「ネコロマンチシズム」からなる.
ノラが失踪してからの百閒の取り乱し様は異常なほどで,滑稽で,大人げない.そして読み進むほどに,その滑稽が胸に染み,やがて百閒とともに滂沱の涙を禁じ得なくなる.猫を飼った者でなければ判らない,我が身との一体感.それを喪ったときに皮膚を引き剥がされるような「痛み」が,やがてリアリティを持って読む者に迫ってくる.猫を愛し,猫との別れを経験した者に,自分だけでない「痛み」を分かち合うことが出来ることを教えてくれる一冊である.
クルツは,百閒夫妻の元に来て,5年あまりで急逝してしまう.この時医師に向かって言った百閒の言葉を紹介しよう.
「兎に角,今はまだこうして生きているのですから,この生命の燈(ひ)を消さない様に,もう一度元気にしてやって下さい.お骨折りにのし掛かる様ですが,どうかお願い申します」
猫好きでない人にはとても勧められない,深遠(ディープ)な世界だ.