俄かモーツァルト・ファンよ,跪けっ!

Mozart:Requiem K.626(バイヤー版) KING Record Co.ltd.
モーツァルトの生誕250周年を迎えた1月27日,ザルツブルクでは盛大な催しが行われ,BS放送なども今後モーツァルト企画が目白押しだ.クイーンが持て囃された時もそうだが,気合いの入ったファンにとっては,片腹痛いに違いない.
フレディー・マーキュリーの壮絶な人生と,日本のファンを大切にした理由もしらない「子供」たちに,「キムタク」のドラマの主題歌としてしかしらないファンにクイーンを語られると,「ちょっと待て」と言いたくなる.
同じように,「なんかいやされるー」とか言われると,血管が浮きそうになってしまう.
もちろんモーツァルトは世界の至宝であり,その真価は暗さの微塵もない,透明感のある音楽にあることも真実だ.しかし,貧困に生まれ,その性格の険しさにも関わらず,後に多くの支援者や友人に看取られて死んだベートーヴェンと比べ,比較的裕福な家庭に生まれ,きらびやかな宮廷の社交界に持て囃されながら,野垂れ死んで遺骨のありかも判らないモーツァルトの音楽が,「天上の音楽」と言われるその一面でのみ語れないのも真実だ.
晩年にいたりモーツァルトの音楽には微妙な陰影が加わる.明るいパッセージの中にも,漠然とした不安を感じさせるような短調のフレーズが見え隠れするようになる.
そして,夭折の天才の溢れる才能の奔流は一本の道へと収斂する.それがこのレクイエム(K.626)である.残念ながら,この曲は完成されていない.入祭誦とキリエの2曲のみが完成しており,他には断片が残されているだけだった.様々な紆余曲折を経て,不肖の弟子ジュスマイヤーが完成させたが,これにはリヒャルト・シュトラウスなど,後世の作曲家による批判も多い.
モーツァルトの音楽を聞き込めば判るような,「モーツァルトらしくない」オーケストレーションや,誤りが随所に見られるのだ.「それにしても」と私は思う,後になんの名声も残さず,曲も残っていない不肖の弟子が,よくぞここまで完成させたものだ.
モーツァルトは死の直前に枕頭にこの不肖の弟子を呼び,詳細に曲の完成について指示を与えたと言われている.彼の執念が弟子を突き動かしたのかもしれない.
写真のCDは,その批判の多いジュスマイヤー版を改訂し,モーツァルト研究者であるマイヤーが,モーツァルトの手法に可能な限り忠実に則った「バイヤー版」である.この版はまだ音楽界の認知を得ているとは言えないため,非常に珍しい演奏といえる.(今現在発売されているかは不明)
しかもモーツァルト演奏に定評のあるネヴィル・マリナーとセント・マーチン・イン・ザ・フィールド(アラデミー室内管弦楽団)の録音だ.
(モーツァルトとしては)妙なトロンボーンのソロが削除されたり,全体的なオーケストレーションも,モーツァルトらしさが出ている.そして何より,天才の「白鳥の歌」としての「祈り」を感じさせる,清浄感のある演奏となっている.むやみにダイナミックレンジを強調したり,砂糖菓子のようなべったりとしたレガートを聴かせる演奏家も多いが,よけいな物は極力そぎ落とした演奏に好感を感じる.
にわかなモーツァルトブームにふと,反逆したくなってしまい,古いCDを引っ張り出してしまった.
できればジュスマイヤー版と聞き比べてもらいたいが...
俄かモーツァルト・ファンよ,モーツァルトの「祈り」を聴け!





