ヴィルトゥオーゾ達の鎮魂歌(レイクイエム)
リヒテル最後の日本公演プログラム(1994年)
1974年 David Oistrakh(Vn)
1981年 Karl Bohm(Cond)
1982年 Leonid Kogan(Vn)
1988年 Evgeny Mravinsky(Cond)
1989年 Herbert von Karajan(Cond)
1990年 Leonard Bernstein(Cond)
1997年 Sviatoslav Richter(P)
2001年 朝比奈隆(Cond)
2004年 Carlos Kleiber(Cond)
これは私が敬愛してやまない,クラシック音楽の巨匠[virtuoso]達の過去帳である.ここに挙げたのは,私がレコードを買い始めてから,死んでしまった人たちである.もちろん他にも多くの音楽家が亡くなったが,以後新譜が出ない,あるいは実際に公演を聴くことが出来ないということが,非常に惜しまれて成らない人たちだ.
幸いなことに,Carlos Kleiberの最後の日本公演で,ウィーン国立歌劇場と同管弦楽団による「こうもり」を観られたこと,Sviatoslav Richterの最後の日本公演は2回チケットがとれた事,Leonard Bernsteinの最後の日本公演で,ベートーヴェンの7番を聴けたことが救いである.朝比奈については三度にわたるベートーヴェン・チクルスで多くの公演を聴いているし,マーラーも聴いているので,諦めがつくわけではないが,不幸中の幸いといえるかもしれない.
CDをMP3に変換して整理するようになり,改めてこれらの巨匠達の不在を思い知ることになった.未だ健在の巨匠としては,チェロのRostropovichくらいか.
それにしても,朝比奈,リヒテル,クライバーの死は,私のクラシック音楽への情熱を半減させてくれた.もっともクライバーは殆どツアーを行わない人なので,日本公演を一度,しかも決定版とも言われる「こうもり」が観られたことは,何にもまして貴重な体験だった.
リヒテルにしろ,クライバーにしろ,神経質でキャンセル常習犯の巨匠に日本好きが多かったことは幸いだ.その理由の一つは,日本の聴衆のマナーの良さにあると言われている.公演中身じろぎせず,演奏家以上の緊張をもって静聴し,どんなマイナーな曲目でも見事なまでに曲の終了を判別し,拍手の為所を間違えない.こんな聴衆は世界のどこを探してもいないらしい.
もっとも最近御他聞に漏れず,マナーは低下している.演奏中にパラパラと音を立てながらプログラムをめくり,開演前にもらったチラシのビニールをパリパリ言わせ,一緒に来た人と話をする.コンサート会場は空気が乾燥しているが,ひどいのはなめていた飴をカリカリ噛む者まで居る(差別をするわけではないが,殆どがオバサンです).思うに以前はクラシックの公演は,一握りの熱狂的ファンのものだったが,最近は気軽にコンサートを訪れる人が増えたのだろう.
私としては,何を犠牲にしても行きたい巨匠達が皆鬼籍に入ってしまい,コンサートへの意欲がなくなっているのが救いである.