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マタイ受難曲とは何か(2)

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良く聴くCD2組

クラシック音楽は再現芸術である.曲が作られたのは古くは250年ほど前であり,基本的にスコアは1つである.それを様々な演奏家が演奏し,録音している.曲によっては同じ指揮者,同じオーケストラで3度録音されているような例もある.それは,不変のスコアを再現する際の,演奏者の技巧的な違い,精神性,音の強弱や響きといった表現の違いによって,これが同じ曲かと思わせるほどの違いを見せるからである.

従って,音楽に巧劣は有っても,善し悪しはなく,「良い演奏」というのは個人的な感想である.良くこの曲の良いCDはなどという話があるが,本人がどのように音楽を聴くかによって,好みは分かれるのが普通だ.

従って,私のバッハ演奏の聴き方,あるいは判断基準を説明しなくては,勧める意味がない.

特にマタイに対して思い入れがあるので,一般的な判断とは言いかねる部分もあるかもしれない.まずバッハ演奏に求めるものは「清潔さ」だ.バッハの出自は教会の御用音楽家である.ある意味,宗教家とも言える.特にミサ曲や受難曲は,チベット仏教のマニ車のように,その曲を聴けば長くて退屈なミサや,説教を聴いたのと同じ功徳があるといった性格を持っていた.宗教曲らしい清潔感がまず必要だ.

次に緊張感である.肩の力を抜いた,美しい音楽を求めるなら,リヒャルトシュトラウスやその他の作曲家を聴くべきで,バッハのしかも宗教曲にそれを求めるのはいかがなものかと考える.張り詰めた緊張感が指揮のみ成らず,歌手やオーケストラの隅々まで行き渡っている演奏が良い.

最後に「祈り」である.これは宗教的解釈と置き換えても良い.つまりキリストの聖書解釈,さらに作曲者この場合バッハの解釈と大きく外れた演奏をしたのでは,本当の意味の再現芸術とは言えない.

もちろん技術は最低限の問題で,商業的に名人上手を集めたからと言って,良い演奏になるとは言えない.特に歌手は良いイタリア・オペラの歌手だからといって,バッハを歌えるという物ではない.

このような選別を行っていった結果が,カール・リヒターの58年の録音だった.ヘフリガーのエヴァンゲリスト(福音書記者:預言者)やディースカウのイエスはとてもすばらしい.また全体に張り詰めた緊張感があり,表現は抑制されている.全体にインテンポな演奏で,形式的にも宗教曲としての品格をよく表している.

各有名なアリアの出来も気になるが,私は特に終結合唱が気になる.バッハはここで,きらびやかにキリストの復活を表しているとは思えない.静かにイエスに訪れた安らぎ(死によって得られた)に安堵し,死によって永遠が訪れたことを感謝している(これがバッハのキリスト教観ではなかろうか?).従って,力強い演奏ではあるが,静かに,淡々と光を歌っている.

ものによっては叫ぶようであったり,力の限りにキリストの復活を歌い上げるかのようなものもある,が私の考えには合わない.

次に日本で録音された金字塔として,鈴木雅明指揮,バッハ・コレギウム・ジャパンによる演奏を挙げよう.日本人の手によってこのような演奏が行われたのは喜ばしい限りだ.(写真右)

その他分類するとすれば,古楽器による演奏や,大オーケストラ物など分類が可能だ.後者では意外と言っては失礼になるかもしれないが,ショルティの作品がなかなかすばらしい.全曲盤は現在リリースされていないようだ.ロンドン・レーベルからハイライト盤が出ている.

物によって,アリアの声調が違う場合がある.アルトのアリアをソプラノが歌っていたり,伴奏の楽器が違う場合もある.実際のコンサートでも最後に聴いた木の十字架合唱団の公演では,通常はバスが歌う放蕩息子のアリアをテノールが歌っていた.古い演奏には,アリアの多くを削除しているものもある.フルトヴェングラーの録音では,同じ音源であるにも関わらず,発売しているレーベルによってそれぞれに有るもの無いものがあり不思議だ.

他にも映画音楽のように美しい演奏もあれば,オペラのように派手な演奏もある.それぞれの好みに応じた,自分なりのベスト盤を探すのも一興である.

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