Profile Japanese Words Only
Nature Report


アンコウの憂鬱と快楽? ケペル先生の博物誌 vol.1

一千年紀から二千年紀へにかけての日本の冬は暖冬だった。とはいえ寒い日には氷が張り、 伊豆辺りの水温もそろそろ14℃を下回る頃だろう。冬の暗い空の下、大都会のビルの谷 間にいると、彼らの事を思い出し、私の意識は冷たく深い海の底へと沈んで行く。

大陸棚の深い海の底、深海と言うほどではないが、太陽の痕跡もかすかになる、光も、音も 無い世界にアンコウは静かに横たわっている。アンコウにも種類があり、全てがそうでは無 いが、御存じの、下顎の突き出た、醜怪で頭の大きな、あのアンコウは雌である。

あの容貌では、さぞかし思春期には苦悩が絶えぬであろうと思いきや、彼女は侘びしく孤閨 を護るシングル・ガールではない。常に男を侍らせるプレイ・ガールなのである。では、雄 はどこにいるのか? これが実に含蓄の深い、男にとっては永遠のテーマを投げかけてくれ るのだ。

ある種のアンコウの雄は雌の100分の1の体積もない、メダカ同様のサカナである。卵か ら孵化すると、広大な海を雌を求めて彷徨い続ける。元々個体数の多い種ではないため、雌 に出会う確率は極めて少ない。この放浪の期間に、雄は少年から男へと成長を遂げる。我々 にはほんの数日の時間が、彼らには人生の何分の一かをかけた大紀行なのだ。雄は異性に渇 え、まだ見ぬ女性に遙けき想いを寄せている。おそらく尋常な想いではないのだろう。雌に 出会った雄は、燃える想いを一挙に爆発させ、身体ごと雌にぶつかって行く。

しかし、悲しいかな、雄は雌の生殖器ほどの大きさしかない(身体がである)。雄はそれでも 諦めきれないのか、それとも人生の諦観を旅の間に学んだのか、静かに雌のそこに口づけす る。その情熱があまりに強いためか、雄の唇はそこに癒着してしまう。ああ君よ、憐れむ無 かれ、雄は生ける生殖器と化し、生涯を雌のそこに付着して暮らすのだ。種類によっては、 自ら脳を退化させ、思考を闇の中に沈めてしまうものもあるが、多くは血管を雌の血管と癒 着させ、栄養は雌からもらうが、排泄も行い、脳幹も失わない。

雌は一定の周期で排卵期を迎え、雄は繋いだ血管を流れるホルモンの状態でそれを知る。そ して静かに雌の体内に精子を供給し、雌の産み落とす卵に受精させる。そして次の排卵期を 迎えるまで、再び静かに思考の闇へと沈んでいく。アンコウの男と女は、こうして生涯を全 うするまで、身体を一つに繋げたまま、闇のような海底の、柔らかな泥のベッドで静かに暮 らして行く。

雄は何を想い、雌は何を感じているのだろうか。雄は己の生涯を悔いるのか、それとも男冥 利に尽きると感じているのか。私には解らない....。

私の思考は、今日も静かに海の底を彷徨っている。